きえん つれびと
奇縁の連人
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匂いには 記憶を呼び覚ます力があるらしい
その匂いを伴った記憶は 脳だけでなく 魂にまで刻み込まれている
ならば この手にありありと残る感触も 魂の記憶なのだろうか
それとも この身体で体験した何か別の感触を 魂の記憶とともに思い出すことで
まるで あの瞬間のもののように 感じているだけなのだろうか
とにかく もう一度触れたい
触れて あの独特の香りを鼻の奥で感じながら
やがて訪れる あの瞬間の幸福を
ふたたび 魂に刻み込みたいのだ
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山形で派手に吹っ飛んだのは、愛車だけではなかった。
便利だった携帯電話も同じ運命を辿ったのである。
油断していたつもりはない直江だが、それでも悔やまれてならない。
新車の方は現在、車種を何にするのか毎晩のように家族会議が開かれていが、ケイタイは母親に言われた照弘が疾風の如く調達してきた。気が付くとどこにいるか分からなくなる橘家の三男坊には、絶対に持たせておかなければならないアイテムなのである。
社用だぞ、と念を押されて渡されたものの、あっという間に埋まってしまった電話帳の8割方は不動産業とは無関係の女性のものだ。別に全ての女性と関係を結んだ訳ではない。ただ何故か番号ばかりが増えていく。不思議なものだが、ここらへんに照弘から"たらし"のレッテルを貼られている原因がありそうだ。
直江がのんきにそんな事を考えていると、当の携帯電話が鳴り始めた。
ピピピピピッ ピピピピピッ ピピピピピッ
耳につく着信音を煩く思いながら通話ボタンを押すと、電話帳にも登録のある、(一応)女性の声が聞こえてきた。
『あ、直江~?!やっほ~、げんきっ?!』
今日も綾子は元気がよい。
「何かあったのか」
『ん~、ちょっとね~。今、へいき?』
とにかく声が大きい。受話口から心持ち耳を離した。
直江は本日、家の使いで東京へ来ている。
朝っぱらから父親や長兄に頼まれていた用事を済ませたり、母に頼まれていた買い物をしたり、都内に住む姉のところへ顔を出したりで用は全て済んでしまったのだが、せっかくの日曜だからこのまま真っ直ぐ帰ろうとも思えずにいたところだったのだ。
だからと言って綾子のおしゃべりに付き合うのも気が引けたが、すでに綾子は勝手に喋り始めている。
『やっぱケイタイって便利よね。私も買おうかなあ』
「電話代が高いからどうのこうのと言ってただろう」
『そうだけど、家に掛かってくる電話が宇都宮の坊主とか松本の高校生とか脈絡がないもんだから、さすがにうちの親も不審に思ってるみたいなのよね』
綾子の家は横浜にあり、まあまあいいとこのお嬢さんなのである。
『大体知ってる?こないだあんたと連絡が取れないからって、あんたのお母さんからうちに電話きたらしいのよ!ケイタイ持てば、あんたのお母さんも私の方に直接かけてくれるだろうし』
「ちょっと待て。なんで母がお前の家の番号を知ってるんだ」
『だって何回も折り返し頼んでるもの。あんたの家族に、すっかり誤解されちゃってるのよ、私。冗談じゃないわよね』
こちらこそ冗談ではない、と思ったが、最近綾子が家に電話をかけてくる際に偽名なのはそのせいか、と納得がいった。
『お母さんからは一度家に遊びに来いって誘われてるし、上のお兄さんなんて、弟はひどい男だからあまり真剣になっちゃ駄目だって本気で説得されたし。よっぽどこっちから願い下げよ、って言ってやろうかと思ったわよ』
あの人たちは自分のいないところで何をしているんだ、と頭が痛くなってくる。何故か最近、過保護に拍車がかかっていると思うのは気のせいだろうか。
『ね、ところで今どこよ』
「東京だ」
『あっそ。──……って、もしかして、お姉さんのところに寄ってた?』
「ああ」
『ってことは目黒のあたりねッ!!今何時ッ!?』
「??もうすぐ11時半、だな」
腕時計を見ながら、昼時だなと呟く直江に、綾子は怒鳴りつけた。
『大変!急いでいまから言うところに行って!!』
「何でだ」
『いいから!行列があるからそこに並んでて!いい、住所はね……』
言われた通りに住所をメモし、訳も分からずに車を急発進させた。
便利だった携帯電話も同じ運命を辿ったのである。
油断していたつもりはない直江だが、それでも悔やまれてならない。
新車の方は現在、車種を何にするのか毎晩のように家族会議が開かれていが、ケイタイは母親に言われた照弘が疾風の如く調達してきた。気が付くとどこにいるか分からなくなる橘家の三男坊には、絶対に持たせておかなければならないアイテムなのである。
社用だぞ、と念を押されて渡されたものの、あっという間に埋まってしまった電話帳の8割方は不動産業とは無関係の女性のものだ。別に全ての女性と関係を結んだ訳ではない。ただ何故か番号ばかりが増えていく。不思議なものだが、ここらへんに照弘から"たらし"のレッテルを貼られている原因がありそうだ。
直江がのんきにそんな事を考えていると、当の携帯電話が鳴り始めた。
ピピピピピッ ピピピピピッ ピピピピピッ
耳につく着信音を煩く思いながら通話ボタンを押すと、電話帳にも登録のある、(一応)女性の声が聞こえてきた。
『あ、直江~?!やっほ~、げんきっ?!』
今日も綾子は元気がよい。
「何かあったのか」
『ん~、ちょっとね~。今、へいき?』
とにかく声が大きい。受話口から心持ち耳を離した。
直江は本日、家の使いで東京へ来ている。
朝っぱらから父親や長兄に頼まれていた用事を済ませたり、母に頼まれていた買い物をしたり、都内に住む姉のところへ顔を出したりで用は全て済んでしまったのだが、せっかくの日曜だからこのまま真っ直ぐ帰ろうとも思えずにいたところだったのだ。
だからと言って綾子のおしゃべりに付き合うのも気が引けたが、すでに綾子は勝手に喋り始めている。
『やっぱケイタイって便利よね。私も買おうかなあ』
「電話代が高いからどうのこうのと言ってただろう」
『そうだけど、家に掛かってくる電話が宇都宮の坊主とか松本の高校生とか脈絡がないもんだから、さすがにうちの親も不審に思ってるみたいなのよね』
綾子の家は横浜にあり、まあまあいいとこのお嬢さんなのである。
『大体知ってる?こないだあんたと連絡が取れないからって、あんたのお母さんからうちに電話きたらしいのよ!ケイタイ持てば、あんたのお母さんも私の方に直接かけてくれるだろうし』
「ちょっと待て。なんで母がお前の家の番号を知ってるんだ」
『だって何回も折り返し頼んでるもの。あんたの家族に、すっかり誤解されちゃってるのよ、私。冗談じゃないわよね』
こちらこそ冗談ではない、と思ったが、最近綾子が家に電話をかけてくる際に偽名なのはそのせいか、と納得がいった。
『お母さんからは一度家に遊びに来いって誘われてるし、上のお兄さんなんて、弟はひどい男だからあまり真剣になっちゃ駄目だって本気で説得されたし。よっぽどこっちから願い下げよ、って言ってやろうかと思ったわよ』
あの人たちは自分のいないところで何をしているんだ、と頭が痛くなってくる。何故か最近、過保護に拍車がかかっていると思うのは気のせいだろうか。
『ね、ところで今どこよ』
「東京だ」
『あっそ。──……って、もしかして、お姉さんのところに寄ってた?』
「ああ」
『ってことは目黒のあたりねッ!!今何時ッ!?』
「??もうすぐ11時半、だな」
腕時計を見ながら、昼時だなと呟く直江に、綾子は怒鳴りつけた。
『大変!急いでいまから言うところに行って!!』
「何でだ」
『いいから!行列があるからそこに並んでて!いい、住所はね……』
言われた通りに住所をメモし、訳も分からずに車を急発進させた。
「はひ~~~!おいひ~~~♪」
綾子は満面の笑みで焼きたてのパンを口いっぱいにほおばっている。
直江が向かわされたのは話の流れとは全く関係のない、最近話題だというパン屋だった。
先に到着して長い行列に並んでいた直江に後から合流した綾子は、代金もちゃっかり払わせてすっかりご機嫌だ。
この店のクロワッサンは綾子の大のお気に入りで、お昼にあわせて焼きあげることが多いせいか、平日休日にかかわらず昼過ぎになると行列ができるのだそうだ。
「店長さんってのがまだ若いんだけど、すごくがんばってるのよ~♪」
これでもかとパンを口に詰込みながら、綾子は直江に訊いた。
「ね、ところでなによ、この車。ベンツはどうしたの、ベンツは」
ふたりが寄りかかっている車は、ナンバープレートに「わ」の文字が印字された乗用車だ。
直江は、ベンツは家の事情で使用できなかったと言い、反対に、
「お前こそバイクはどうした」
と返した。
綾子は最寄の駅から徒歩でやってきた。電車で来たらしい。もし実家にいたのならこんなに早くは着かないだろう。一体どこで何をやっていたのか。
「昨日の夜、ちょっと都内で盛り上がっちゃって。そのまま友達んとこに泊めてもらったのよ」
これだから、と直江はため息をついた。綾子の酒好きはどうしたって変わらない。
「そもそもなぜ電話を寄越したんだ。用事があったんじゃないのか」
「あ!そーだった。今からちょっと友達と約束があるんだけど、もしかしたらコレするかもしれないから」
毘沙門天の印を結んでみせる。
「怨将絡みか?」
真顔になる直江に綾子は首を振った。
「ううん、ちがうと思う。その子もちょっと視える子なんだけど、学校の先輩で様子が変な人がいるって。私の飲み仲間でもあるんだけどさ、その先輩。最近、顔見ないなあって思ってたらそんな事情だったらしくって」
彼ってムードメーカーだから、いないと盛り上がらなくって、と肩をすくめてみせる綾子は冗談のつもりはなくあくまでも本気だ。
酒盛りを楽しむ為の調査か、と直江は再びため息をついた。
色部の前の宿体である佐々木が逝き、綾子と二人きりになってからは、《力》を使うような事件があればそれが《闇戦国》が絡んでいなくとも必ず情報を共有するようにしてきた。お互いの身に何かあった時に困るからだ。
「わかった。事が終わったら報告は入れろ」
「もちろん!で、ついでにその子の大学まで送って欲しいんだけど」
「………いったい何のついでだ」
「だって~!アシがないんだもん!」
「電車を使え、電車を」
「ああ~~お金がないよ~~直江~~!見て!財布がからっぽだよ~~!!」
泣きまねをしながら騒ぎ立てる綾子を通りすがりの人々がじろじろと見ていく。
直江は耐え切れなくなって言った。
「わかったから騒ぐな。送るだけだぞ。その先は付き合わないからな」
「わ~~い♪悪いわね、いっつも」
本当にいつもいつも……と心の中で悪態をついて、綾子から眼を逸らした直江の視界に、挙動不審な人物が映った。
パン屋の行列はさすがに解消されてはいたものの、店内は客で込み合っている。
その店を入り口から覗き込んでいる若い男がいた。
最初は初めての客が中の様子を窺っているのかと思ったが、そのうち店の横手にある窓の施錠の有無を確認し始めた。
その行動も怪しいが、何より……。
「あいつ、憑依霊じゃない」
「ああ」
綾子は満面の笑みで焼きたてのパンを口いっぱいにほおばっている。
直江が向かわされたのは話の流れとは全く関係のない、最近話題だというパン屋だった。
先に到着して長い行列に並んでいた直江に後から合流した綾子は、代金もちゃっかり払わせてすっかりご機嫌だ。
この店のクロワッサンは綾子の大のお気に入りで、お昼にあわせて焼きあげることが多いせいか、平日休日にかかわらず昼過ぎになると行列ができるのだそうだ。
「店長さんってのがまだ若いんだけど、すごくがんばってるのよ~♪」
これでもかとパンを口に詰込みながら、綾子は直江に訊いた。
「ね、ところでなによ、この車。ベンツはどうしたの、ベンツは」
ふたりが寄りかかっている車は、ナンバープレートに「わ」の文字が印字された乗用車だ。
直江は、ベンツは家の事情で使用できなかったと言い、反対に、
「お前こそバイクはどうした」
と返した。
綾子は最寄の駅から徒歩でやってきた。電車で来たらしい。もし実家にいたのならこんなに早くは着かないだろう。一体どこで何をやっていたのか。
「昨日の夜、ちょっと都内で盛り上がっちゃって。そのまま友達んとこに泊めてもらったのよ」
これだから、と直江はため息をついた。綾子の酒好きはどうしたって変わらない。
「そもそもなぜ電話を寄越したんだ。用事があったんじゃないのか」
「あ!そーだった。今からちょっと友達と約束があるんだけど、もしかしたらコレするかもしれないから」
毘沙門天の印を結んでみせる。
「怨将絡みか?」
真顔になる直江に綾子は首を振った。
「ううん、ちがうと思う。その子もちょっと視える子なんだけど、学校の先輩で様子が変な人がいるって。私の飲み仲間でもあるんだけどさ、その先輩。最近、顔見ないなあって思ってたらそんな事情だったらしくって」
彼ってムードメーカーだから、いないと盛り上がらなくって、と肩をすくめてみせる綾子は冗談のつもりはなくあくまでも本気だ。
酒盛りを楽しむ為の調査か、と直江は再びため息をついた。
色部の前の宿体である佐々木が逝き、綾子と二人きりになってからは、《力》を使うような事件があればそれが《闇戦国》が絡んでいなくとも必ず情報を共有するようにしてきた。お互いの身に何かあった時に困るからだ。
「わかった。事が終わったら報告は入れろ」
「もちろん!で、ついでにその子の大学まで送って欲しいんだけど」
「………いったい何のついでだ」
「だって~!アシがないんだもん!」
「電車を使え、電車を」
「ああ~~お金がないよ~~直江~~!見て!財布がからっぽだよ~~!!」
泣きまねをしながら騒ぎ立てる綾子を通りすがりの人々がじろじろと見ていく。
直江は耐え切れなくなって言った。
「わかったから騒ぐな。送るだけだぞ。その先は付き合わないからな」
「わ~~い♪悪いわね、いっつも」
本当にいつもいつも……と心の中で悪態をついて、綾子から眼を逸らした直江の視界に、挙動不審な人物が映った。
パン屋の行列はさすがに解消されてはいたものの、店内は客で込み合っている。
その店を入り口から覗き込んでいる若い男がいた。
最初は初めての客が中の様子を窺っているのかと思ったが、そのうち店の横手にある窓の施錠の有無を確認し始めた。
その行動も怪しいが、何より……。
「あいつ、憑依霊じゃない」
「ああ」
憑依霊独特の波動が、《霊査》せずともわかるくらいあからさまに伝わってくる。
ここらで動いている怨将の情報は入ってきていないが、新手が現れた可能性もある。
「人気店に盗みに入って、資金でも稼ごうって魂胆かしら。私の店に手ぇ出したらただじゃおかないわよっ!」
"私の"というところには疑問を感じたが、勇んで歩き出す綾子の後に直江もついていった。
「ちょっとあんた、なにしてんのよ!」
驚いてビクッと身体を揺らした男は、ゆっくり振り返るとふたりを睨みつけてきた。
色を抜いた髪や、カーゴパンツから垂れたウォレットチェーンが今時の若者らしい。
汗で湿ったTシャツが、真夏の日差しの下に長時間いたことを想像させる。
「別に……なにも」
「なにもじゃないわよ!他人の体使って何たくらんでんのよ」
「!?なんでそれを……っ!!」
憑依霊だと指摘されたのは初めてだったらしい。
一瞬動揺したものの、すぐに口を閉ざしてしまった。
だんまりを決め込むつもりらしい。
お互いが出方を探る張り詰めた雰囲気の中、突如響き渡ったのは、例の耳障りな音だった。
ピピピピピッ ピピピピピッ ピピピピピッ
わずかに綾子と直江が着信音に気を取られた瞬間、男はくるりと向きを変えて、ダッシュした。
「こっ、こらあっ!」
後を追ったが追いつかぬ内に、若者は近くに停めてあった原付バイクに股がって走り去ってしまった。
あっという間の出来事に、追いかける足を踏み留めた綾子は、直江のほうを振り返り怒鳴った。
「ちょっと!どうせ女からでしょ!切っときなさいよ!」
ところが直江は綾子には一向に構わない様子で、鳴り続ける電話を取った。
「もしもし」
『あ、直江?わりい、いま平気?』
「高耶さん!?ええ、大丈夫です」
綾子の予想を裏切って、電話は高耶からだった。
直江は声こそ平静さを装えたものの、内心驚いていた。高耶がケイタイに電話をしてきたのは初めてかもしれない。
雑踏のざわめきが高耶の声と混じって聞こえてくる。
「外からですか?」
『ああ、いま新宿駅でさ。自由が丘に行きたいんだけど、どういきゃいいの?東京に詳しいのって、おまえしか思いつかなくって』
高耶は軽い調子で訊いてくる。
直江も電車はあまり利用しないが、それくらいは分かった。
「東横線なら渋谷乗り換えだと思いますが……」
駅員に聞けばいいとも思うのだが、少しでも頼ってくれたことが直江には嬉しい。
仙台、東京とずっと一緒にいたせいか、高耶はずいぶんと打ち解けてくれたようだ。
甘えられているな、と思う回数が確実に増えていっている。
そうなると、その気持ちに応えたくなるものだ。
「よかったらお送りしましょうか?今、目黒にいるんです。迎えに行きますよ」
「え、まじ?東京出てきてんだ?」
「ええ、渋谷まで出られますか?そこで落ち合いましょう。生憎、晴家も一緒ですけど」
あいにく?と綾子が眉を吊り上げる。
「ねーさんも?なんだ、シゴト中?」
「そういうわけではないんですが」
とりあえず、待ち合わせの場所を決めて電話を切った。
それを待っていたかのように、綾子の攻撃が始まる。
「なによ!私が目と鼻の先に送ってもらいたいって言ったらあんだけごねるくせに、景虎だったらわざわざ迎えにまでいくわけ!?だいたいっ、電車くらい一人で乗れるようにならなきゃ駄目よ!あんたちょっと甘やかしすぎよっ!」
散々怒鳴る綾子にも、直江はまるで聞く耳を持たない。
綾子をちらりとも見ずに目を細くして横を向いたままだ。
なので綾子は言ってやった。
「鼻の下、伸びてるわよ」
やっと、こちらを向いた。
「そんな訳がないだろう……」
そう言いながらも直江は、鼻の下を確かめるように触った。
ここらで動いている怨将の情報は入ってきていないが、新手が現れた可能性もある。
「人気店に盗みに入って、資金でも稼ごうって魂胆かしら。私の店に手ぇ出したらただじゃおかないわよっ!」
"私の"というところには疑問を感じたが、勇んで歩き出す綾子の後に直江もついていった。
「ちょっとあんた、なにしてんのよ!」
驚いてビクッと身体を揺らした男は、ゆっくり振り返るとふたりを睨みつけてきた。
色を抜いた髪や、カーゴパンツから垂れたウォレットチェーンが今時の若者らしい。
汗で湿ったTシャツが、真夏の日差しの下に長時間いたことを想像させる。
「別に……なにも」
「なにもじゃないわよ!他人の体使って何たくらんでんのよ」
「!?なんでそれを……っ!!」
憑依霊だと指摘されたのは初めてだったらしい。
一瞬動揺したものの、すぐに口を閉ざしてしまった。
だんまりを決め込むつもりらしい。
お互いが出方を探る張り詰めた雰囲気の中、突如響き渡ったのは、例の耳障りな音だった。
ピピピピピッ ピピピピピッ ピピピピピッ
わずかに綾子と直江が着信音に気を取られた瞬間、男はくるりと向きを変えて、ダッシュした。
「こっ、こらあっ!」
後を追ったが追いつかぬ内に、若者は近くに停めてあった原付バイクに股がって走り去ってしまった。
あっという間の出来事に、追いかける足を踏み留めた綾子は、直江のほうを振り返り怒鳴った。
「ちょっと!どうせ女からでしょ!切っときなさいよ!」
ところが直江は綾子には一向に構わない様子で、鳴り続ける電話を取った。
「もしもし」
『あ、直江?わりい、いま平気?』
「高耶さん!?ええ、大丈夫です」
綾子の予想を裏切って、電話は高耶からだった。
直江は声こそ平静さを装えたものの、内心驚いていた。高耶がケイタイに電話をしてきたのは初めてかもしれない。
雑踏のざわめきが高耶の声と混じって聞こえてくる。
「外からですか?」
『ああ、いま新宿駅でさ。自由が丘に行きたいんだけど、どういきゃいいの?東京に詳しいのって、おまえしか思いつかなくって』
高耶は軽い調子で訊いてくる。
直江も電車はあまり利用しないが、それくらいは分かった。
「東横線なら渋谷乗り換えだと思いますが……」
駅員に聞けばいいとも思うのだが、少しでも頼ってくれたことが直江には嬉しい。
仙台、東京とずっと一緒にいたせいか、高耶はずいぶんと打ち解けてくれたようだ。
甘えられているな、と思う回数が確実に増えていっている。
そうなると、その気持ちに応えたくなるものだ。
「よかったらお送りしましょうか?今、目黒にいるんです。迎えに行きますよ」
「え、まじ?東京出てきてんだ?」
「ええ、渋谷まで出られますか?そこで落ち合いましょう。生憎、晴家も一緒ですけど」
あいにく?と綾子が眉を吊り上げる。
「ねーさんも?なんだ、シゴト中?」
「そういうわけではないんですが」
とりあえず、待ち合わせの場所を決めて電話を切った。
それを待っていたかのように、綾子の攻撃が始まる。
「なによ!私が目と鼻の先に送ってもらいたいって言ったらあんだけごねるくせに、景虎だったらわざわざ迎えにまでいくわけ!?だいたいっ、電車くらい一人で乗れるようにならなきゃ駄目よ!あんたちょっと甘やかしすぎよっ!」
散々怒鳴る綾子にも、直江はまるで聞く耳を持たない。
綾子をちらりとも見ずに目を細くして横を向いたままだ。
なので綾子は言ってやった。
「鼻の下、伸びてるわよ」
やっと、こちらを向いた。
「そんな訳がないだろう……」
そう言いながらも直江は、鼻の下を確かめるように触った。
待ち合わせた場所に車を停めてふたりで立っていると、高耶は半袖シャツにジーンズ姿で現れた。
「景虎~~~♪」
綾子のテンションの高さのせいか、その変わった名前のせいか、まばらにいた通行人がいっせいに注目する。
「やめろよな、でっけー声で呼ぶの」
声を潜めて寄ってきた高耶は、額が汗ばんでいる。
「やっぱ東京はあっちーな」
地元と同じ感覚で少し生地の厚いシャツを着てきてしまったのが、失敗だった。
手でパタパタと顔を仰ぐ。
対する綾子は七分丈のスキニーパンツにタンクトップで涼しげだ。
直江の方は上着こそ脱いではいるものの、Yシャツのボタンもきっちり上までとめて平然としていた。
「そりゃあ松本に比べればね。ほら、車ん中入ろ。冷房、当たろ」
そこで初めて見慣れぬ車に気付いたらしい。
「なに、この車」
いちいち聞いてくる高耶がうらめしい。
「レンタカーなんです」
「んなもん借りなくったって、おまえんちは高級車がごろごろしてんだろ?」
「ごろごろはしてませんけどね」
実は、あまり知られたくない事情があった。
また廃車にされてはたまらないからという理由で、家族からの使用許可が下りなかったのだ。
レンタカーならさすがの弟も自粛するだろうということで、長兄の了承を得られた。
母親などは直江が運転すること自体を嫌がっており、免許証を預けろといわれて閉口している。
新車の購入が遅れているのも、そんな事情が絡んでいた。
が、できればそんな話はしたくない。
そこへ綾子から意図せぬ助け舟が出された。
「それより景虎、自由が丘くんだりまで何しにいくのよ」
綾子はさっきからそれが気になっていたようだ。確かに高耶と自由が丘の繋がりなどピンとこない。
「美弥がコレを欲しがっててさ。電話したら自由が丘にしかないってゆーから」
高耶がポケットから出してきたのは雑誌の切り抜きだった。そこには淡い色のワンピースを着たモデルがポーズをきめている。美弥の雰囲気に合いそうなかわいらしいものだった。
「今月ちょっと給料良かったからさ。誕生日だってロクなもんあげたことねーし、たまにはいーかと思って」
給料を自分の趣味だけでなく妹にも注ぎ込むあたり、高耶の兄バカっぷりが伺える気がする。
「あれ、この店!たまに行くよ?」
切り抜きの隅にメモされた店の名前を読み上げながら綾子が声をあげた。
横浜に住む綾子は自由が丘も活動範囲内に入るらしい。
「何なら一緒に行ってあげようか?」
「まじ?」
やはり男一人で行くには不安があったのだろう。高耶は露骨に嬉しそうな顔をした。
「約束があるんじゃなかったのか?」
直江の方は迷惑そうな表情を浮かべている。
さっさと綾子を送り届けた後、自分が高耶の買い物に付き合って、ついでに夕飯でも一緒に……と勝手に計画を立てていたところだったからだ。
「そうだった。じゃあ、景虎にも視てもらおうかな」
「ばっ、馬鹿なことを言うな!」
即座に直江が反発したが、今までのお返しとばかりに綾子は無視を決め込む。
「ぴっちぴちの女子大生がタチの悪い怨霊で困ってんのよ。ね、景虎も助けてあげたいでしょう?」
「お、おう」
直江が顔を引き攣らせる横で、高耶は強引に頷かされた。
「ね、直江、景虎が来るんならあんたも一緒に来るわよね?」
先程、自由が丘まで送ると約束した直江だ。途中放棄するつもりはない。
「……仕方ないな」
直江は納得するしかなかった。
綾子は密かにほくそ笑む。
高耶を巻き込む形で、当面の移動手段を確保出来たことになるからだ。
「景虎~~~♪」
綾子のテンションの高さのせいか、その変わった名前のせいか、まばらにいた通行人がいっせいに注目する。
「やめろよな、でっけー声で呼ぶの」
声を潜めて寄ってきた高耶は、額が汗ばんでいる。
「やっぱ東京はあっちーな」
地元と同じ感覚で少し生地の厚いシャツを着てきてしまったのが、失敗だった。
手でパタパタと顔を仰ぐ。
対する綾子は七分丈のスキニーパンツにタンクトップで涼しげだ。
直江の方は上着こそ脱いではいるものの、Yシャツのボタンもきっちり上までとめて平然としていた。
「そりゃあ松本に比べればね。ほら、車ん中入ろ。冷房、当たろ」
そこで初めて見慣れぬ車に気付いたらしい。
「なに、この車」
いちいち聞いてくる高耶がうらめしい。
「レンタカーなんです」
「んなもん借りなくったって、おまえんちは高級車がごろごろしてんだろ?」
「ごろごろはしてませんけどね」
実は、あまり知られたくない事情があった。
また廃車にされてはたまらないからという理由で、家族からの使用許可が下りなかったのだ。
レンタカーならさすがの弟も自粛するだろうということで、長兄の了承を得られた。
母親などは直江が運転すること自体を嫌がっており、免許証を預けろといわれて閉口している。
新車の購入が遅れているのも、そんな事情が絡んでいた。
が、できればそんな話はしたくない。
そこへ綾子から意図せぬ助け舟が出された。
「それより景虎、自由が丘くんだりまで何しにいくのよ」
綾子はさっきからそれが気になっていたようだ。確かに高耶と自由が丘の繋がりなどピンとこない。
「美弥がコレを欲しがっててさ。電話したら自由が丘にしかないってゆーから」
高耶がポケットから出してきたのは雑誌の切り抜きだった。そこには淡い色のワンピースを着たモデルがポーズをきめている。美弥の雰囲気に合いそうなかわいらしいものだった。
「今月ちょっと給料良かったからさ。誕生日だってロクなもんあげたことねーし、たまにはいーかと思って」
給料を自分の趣味だけでなく妹にも注ぎ込むあたり、高耶の兄バカっぷりが伺える気がする。
「あれ、この店!たまに行くよ?」
切り抜きの隅にメモされた店の名前を読み上げながら綾子が声をあげた。
横浜に住む綾子は自由が丘も活動範囲内に入るらしい。
「何なら一緒に行ってあげようか?」
「まじ?」
やはり男一人で行くには不安があったのだろう。高耶は露骨に嬉しそうな顔をした。
「約束があるんじゃなかったのか?」
直江の方は迷惑そうな表情を浮かべている。
さっさと綾子を送り届けた後、自分が高耶の買い物に付き合って、ついでに夕飯でも一緒に……と勝手に計画を立てていたところだったからだ。
「そうだった。じゃあ、景虎にも視てもらおうかな」
「ばっ、馬鹿なことを言うな!」
即座に直江が反発したが、今までのお返しとばかりに綾子は無視を決め込む。
「ぴっちぴちの女子大生がタチの悪い怨霊で困ってんのよ。ね、景虎も助けてあげたいでしょう?」
「お、おう」
直江が顔を引き攣らせる横で、高耶は強引に頷かされた。
「ね、直江、景虎が来るんならあんたも一緒に来るわよね?」
先程、自由が丘まで送ると約束した直江だ。途中放棄するつもりはない。
「……仕方ないな」
直江は納得するしかなかった。
綾子は密かにほくそ笑む。
高耶を巻き込む形で、当面の移動手段を確保出来たことになるからだ。
きえん つれびと
奇縁の連人