きえん つれびと
奇縁の連人
「このノートは、その女性がいなくなってから徴兵されるまでの間、ふたりが必死に考えたレシピなんです」
長い話に声もなく聞き入る一同を見渡すようにして、陽一は言った。
戦争から戻ったら、必ずふたりでパン屋を開こう、と誓ってふたりは出征したのだそうだ。
ところが、戦とは本当に残酷なものだ。
「じーさんは外地で怪我をして左腕が不自由になり、パン作りなんてとても無理な身体になってしまいました」
それでも右手だけでなんとかならないかと、かなり試行錯誤したらしい。
「何故かと言うと、安二郎さんの方がもっと酷い状況にあったからなんです」
赴いた先の食料事情や不衛生な環境が元で、あの誰よりも元気で丈夫だった増田が、肺の病を患ってしまったのだ。
医者に見せても、もう与える薬すらないと言われるほどに悪化した状態だった。
後は死ぬのを待つだけだとわかった時の増田の心は、とても計りきれないと寿一はよく言っていた。
それでふたりは、本当に命がけでパン屋を開業する為の行動を開始したのだ。
もちろんまともな材料なんて手に入らない。寿一は増田に隠れて、危ない筋から借金までして、なんとか開店にこぎつけた。が、そのときには既に、増田は起き上がるのがやっとの状態だった。
「一緒に店をできたのはたった三日だけだったと聞いています」
店で血を吐いて倒れ、そのまま入院してすぐに亡くなったと。
「そうだ……。そうだったんだ……」
呟くような声が漏れた。三浦の瞳から涙がぽろぽろこぼれている。
いつのまにか、増田に入れ替わっていた。
「すべて、思い出した……」
手が不自由だからうまくパンがやけない。そう言って生まれて初めて苛立った顔をみせた寿一。
「あの優しい寿一が、嫌がる息子を怒鳴りつけながら手伝わせて……そうまでしてパンを焼いたんだ」
「そ、その話、親父に聞いたことがあります……」
増田は病院に担ぎ込まれた後、あっけなく死んだ。苦しい息の中、ずっと握っていてくれた寿一の手の温かさはまだ覚えている。三浦と会ったあの病院だ。
「本当に彼は温かい男だったよ」
話に聞くだけだった人物が祖父を語るのを目の前にして、陽一の瞳も心なしか潤んでいる。
ところがそれ以上、号泣といってよい程に涙を流している人物がいた。
「ううっ、あうううっ」
高塚だ。
先程から何かを喋ろうと口を開くのだが、嗚咽で言葉をうまく紡げない。
「ちょっと、鼻水くらい拭きなさいよ……」
綾子が自分の鼻を拭いていたハンカチを高塚に差し出すと、それを押しのけて高塚が叫んだ。
「ヷダジデズッッ!!」
「……は?」
思わず全員が高塚をみる。何と言ったのかがまるでわからない。
「ぼっ、ぼくですっ!!やっちゃん!!」
高塚は増田の手を両手で握った。その温かさに増田が眼を瞠る。
「寿一ですっっ!!」
増田が眼を剥いた。
陽一も呆気にとられている。
綾子の手からはお茶がこぼれ、高耶と直江の口はぽかんと開きっぱなしだ。
「じゅ……じゅいっちゃん……?」
恐る恐る名を呼んだ増田に対して、高塚に憑依した飯島寿一はぶんぶんと首を縦に振って見せた。
長い話に声もなく聞き入る一同を見渡すようにして、陽一は言った。
戦争から戻ったら、必ずふたりでパン屋を開こう、と誓ってふたりは出征したのだそうだ。
ところが、戦とは本当に残酷なものだ。
「じーさんは外地で怪我をして左腕が不自由になり、パン作りなんてとても無理な身体になってしまいました」
それでも右手だけでなんとかならないかと、かなり試行錯誤したらしい。
「何故かと言うと、安二郎さんの方がもっと酷い状況にあったからなんです」
赴いた先の食料事情や不衛生な環境が元で、あの誰よりも元気で丈夫だった増田が、肺の病を患ってしまったのだ。
医者に見せても、もう与える薬すらないと言われるほどに悪化した状態だった。
後は死ぬのを待つだけだとわかった時の増田の心は、とても計りきれないと寿一はよく言っていた。
それでふたりは、本当に命がけでパン屋を開業する為の行動を開始したのだ。
もちろんまともな材料なんて手に入らない。寿一は増田に隠れて、危ない筋から借金までして、なんとか開店にこぎつけた。が、そのときには既に、増田は起き上がるのがやっとの状態だった。
「一緒に店をできたのはたった三日だけだったと聞いています」
店で血を吐いて倒れ、そのまま入院してすぐに亡くなったと。
「そうだ……。そうだったんだ……」
呟くような声が漏れた。三浦の瞳から涙がぽろぽろこぼれている。
いつのまにか、増田に入れ替わっていた。
「すべて、思い出した……」
手が不自由だからうまくパンがやけない。そう言って生まれて初めて苛立った顔をみせた寿一。
「あの優しい寿一が、嫌がる息子を怒鳴りつけながら手伝わせて……そうまでしてパンを焼いたんだ」
「そ、その話、親父に聞いたことがあります……」
増田は病院に担ぎ込まれた後、あっけなく死んだ。苦しい息の中、ずっと握っていてくれた寿一の手の温かさはまだ覚えている。三浦と会ったあの病院だ。
「本当に彼は温かい男だったよ」
話に聞くだけだった人物が祖父を語るのを目の前にして、陽一の瞳も心なしか潤んでいる。
ところがそれ以上、号泣といってよい程に涙を流している人物がいた。
「ううっ、あうううっ」
高塚だ。
先程から何かを喋ろうと口を開くのだが、嗚咽で言葉をうまく紡げない。
「ちょっと、鼻水くらい拭きなさいよ……」
綾子が自分の鼻を拭いていたハンカチを高塚に差し出すと、それを押しのけて高塚が叫んだ。
「ヷダジデズッッ!!」
「……は?」
思わず全員が高塚をみる。何と言ったのかがまるでわからない。
「ぼっ、ぼくですっ!!やっちゃん!!」
高塚は増田の手を両手で握った。その温かさに増田が眼を瞠る。
「寿一ですっっ!!」
増田が眼を剥いた。
陽一も呆気にとられている。
綾子の手からはお茶がこぼれ、高耶と直江の口はぽかんと開きっぱなしだ。
「じゅ……じゅいっちゃん……?」
恐る恐る名を呼んだ増田に対して、高塚に憑依した飯島寿一はぶんぶんと首を縦に振って見せた。
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きえん つれびと
奇縁の連人