きえん つれびと
奇縁の連人
ふたりはお互いの肩を叩きながら、ひとしきり泣きあった後でやっと離れた。
すると寿一が、陽一に向かって笑いかけた。
「話をするのは久しぶりだね、陽一」
「じ、じーさん……」
けれどずっと姿は見守っていたのだ。寿一はこの店の守護霊として、ずっとこの世に残っていたのである。
ところが開店以来細々と続けていた小さな店に、一気に人が押し寄せるようになってしまって、霊のくせに混乱したらしい。
気がつくと、やたらと霊力の強い常連客に引っ張られるようにして、店から離れてしまっていた。
それで更に混乱し、記憶すらあいまいになっていたようだ。
「けれど、やっちゃんのことがわからなかったなんて信じられない」
「お互い生前とは姿が全く違うからな」
「そうだね。やっちゃんはすっかり元気そうだし、私も手が動く」
寿一は具合を確かめるように左腕を曲げ伸ばしした。
それを見て、増田が陽一を振り返る。
「せっかくだから、何か作らせて貰うことはできないだろうか」
「うん、私からも是非頼みたい」
ぽかんとふたりを見つめていた陽一は、
「……わかったよ」
そう笑うとすぐに準備を始めた。手際よく、休憩室が簡易キッチンへと変わっていく。
最後に、大きなパン生地が持ち込まれた。
「じゃあ、クロワッサンの成型をお願いします」
そう言うと、その生地をテーブルの中央に置いた。
「すばらしい……」
増田がまるで神聖なもののようにその塊に触れる。
当時では考えられないような最高級の食材を使った生地なのだ。
「うちのは独特の食感を出す為に、かなり小さめに作ってるんだ」
「……知っているよ」
寿一も同じように生地に触れながら、ずっと見ていたんだからと言うと、ためらいなくその生地を伸ばし始めた。
次々と形作られていく巻き貝たちが、準備された台の上に均等に並んでいく。
ギャラリーの三人は眼を見張るばかりだ。
ついさっきまで名前すら忘れたというのに、本当に不思議なものだ。今、目の前にいるのは、立派なパン職人の若者ふたりにしかみえない。
すべての形成を終えて、陽一はそれを別室へと運んでいった。
「発酵が終わって焼きあがるまでにしばらくかかるから、その間に良かったらこれを」
そう言って陽一が持ってきたのは、きれいに焼きあがったクロワッサンだった。
「少し前に焼き上げたばかりのものです」
やった!と一番に飛びつこうとした綾子を直江が制する。
「まずはあのふたりが先だろう?」
ふたりはしばらく躊躇するようにクロワッサンを眺めていたが、やがてどちらともなく手を出した。
口へ運ぶ間に漂ってくる香りすら楽しむように、とてもゆっくりと口へと運ぶ。
「………!」
「……!うん、これは……!!」
思わず顔を見合わせた。
「これこそ、理想の味だ……」
さくり
ふわり
香ばしい皮の中にはふわっとしたやわらかい生地。
ほろほろと口の中で皮の欠片が崩れ落ちる。バターの濃厚な風味がとても甘く感じる。
優しい。愛情の味だ。いくらでも食べれる。
陽一にふたつめを進められて、ふたりとも迷わず手を伸ばす。
そこへ綾子と少しだけ高耶も加わり、トレイに山ほどあったクロワッサンはあっという間になくなった。
「ここまで食べっぷりがいいと嬉しいですね」
陽一は顔を綻ばせている。
「あの時の味より、格段に上だ……」
増田はつぶやくように言った。あの女性にかけられた呪い。あの呪縛から今、やっと解き放たれたような気がしていた。
「これほどの幸せは無いよ」
寿一も言う。
「私達ふたりの夢が受け継がれ、今、こんな素晴らしい形で、たくさんの人々を幸せにしてるんだから」
「………そうだな」
"残りはない"
二人の想いはどうやら一緒のようだ。
「寿一、一緒にいこう」
増田の言葉に、寿一は素直に頷いた。
「いくってどこへ……」
不思議そうな顔をしている陽一に、寿一は言った。
「ここではないところだよ」
「なっ……!待ってくれ、じーさんっ!俺、あんたに色々聞きたいことが山ほど……!」
慌てる陽一に、寿一は優しく言った。
「私がお前に教えられるようなことはもうないさ」
名残を惜しむように、休憩室を見渡しながら言う。
「お前なら、この店を任せられる。護る必要ももうないだろう」
「じーさん……」
寿一は陽一の肩をポン、と叩くと、増田へと向き直った。
「やっちゃん約束だ」
生前不自由だった左手を、前に差し出す。
「来世では絶対にふたり一緒に夢を叶えよう!」
「……ああ、必ず……!」
増田も出された手を握り返した。
穏やかなふたりの表情を見て、高耶は傍らを振り返った。
「直江」
高耶の意図を汲み取って、直江も頷く。
「御意」
一歩前へ出た。
「のうまくさんまんだ ぼだなん ばいしらまんだや そわか.」
突如真言を唱え始めた直江に、陽一は戸惑っていたが、増田と寿一は直江のその行動がどういうものか、悟ったらしい。
「南無刀八毘沙門天 悪鬼征伐 我に御力与え給え」
直江の声が静かに響き渡る。
「《調伏》───」
ふたりは、悲鳴をあげることも抵抗することも無く、静かに逝った。
すると寿一が、陽一に向かって笑いかけた。
「話をするのは久しぶりだね、陽一」
「じ、じーさん……」
けれどずっと姿は見守っていたのだ。寿一はこの店の守護霊として、ずっとこの世に残っていたのである。
ところが開店以来細々と続けていた小さな店に、一気に人が押し寄せるようになってしまって、霊のくせに混乱したらしい。
気がつくと、やたらと霊力の強い常連客に引っ張られるようにして、店から離れてしまっていた。
それで更に混乱し、記憶すらあいまいになっていたようだ。
「けれど、やっちゃんのことがわからなかったなんて信じられない」
「お互い生前とは姿が全く違うからな」
「そうだね。やっちゃんはすっかり元気そうだし、私も手が動く」
寿一は具合を確かめるように左腕を曲げ伸ばしした。
それを見て、増田が陽一を振り返る。
「せっかくだから、何か作らせて貰うことはできないだろうか」
「うん、私からも是非頼みたい」
ぽかんとふたりを見つめていた陽一は、
「……わかったよ」
そう笑うとすぐに準備を始めた。手際よく、休憩室が簡易キッチンへと変わっていく。
最後に、大きなパン生地が持ち込まれた。
「じゃあ、クロワッサンの成型をお願いします」
そう言うと、その生地をテーブルの中央に置いた。
「すばらしい……」
増田がまるで神聖なもののようにその塊に触れる。
当時では考えられないような最高級の食材を使った生地なのだ。
「うちのは独特の食感を出す為に、かなり小さめに作ってるんだ」
「……知っているよ」
寿一も同じように生地に触れながら、ずっと見ていたんだからと言うと、ためらいなくその生地を伸ばし始めた。
次々と形作られていく巻き貝たちが、準備された台の上に均等に並んでいく。
ギャラリーの三人は眼を見張るばかりだ。
ついさっきまで名前すら忘れたというのに、本当に不思議なものだ。今、目の前にいるのは、立派なパン職人の若者ふたりにしかみえない。
すべての形成を終えて、陽一はそれを別室へと運んでいった。
「発酵が終わって焼きあがるまでにしばらくかかるから、その間に良かったらこれを」
そう言って陽一が持ってきたのは、きれいに焼きあがったクロワッサンだった。
「少し前に焼き上げたばかりのものです」
やった!と一番に飛びつこうとした綾子を直江が制する。
「まずはあのふたりが先だろう?」
ふたりはしばらく躊躇するようにクロワッサンを眺めていたが、やがてどちらともなく手を出した。
口へ運ぶ間に漂ってくる香りすら楽しむように、とてもゆっくりと口へと運ぶ。
「………!」
「……!うん、これは……!!」
思わず顔を見合わせた。
「これこそ、理想の味だ……」
さくり
ふわり
香ばしい皮の中にはふわっとしたやわらかい生地。
ほろほろと口の中で皮の欠片が崩れ落ちる。バターの濃厚な風味がとても甘く感じる。
優しい。愛情の味だ。いくらでも食べれる。
陽一にふたつめを進められて、ふたりとも迷わず手を伸ばす。
そこへ綾子と少しだけ高耶も加わり、トレイに山ほどあったクロワッサンはあっという間になくなった。
「ここまで食べっぷりがいいと嬉しいですね」
陽一は顔を綻ばせている。
「あの時の味より、格段に上だ……」
増田はつぶやくように言った。あの女性にかけられた呪い。あの呪縛から今、やっと解き放たれたような気がしていた。
「これほどの幸せは無いよ」
寿一も言う。
「私達ふたりの夢が受け継がれ、今、こんな素晴らしい形で、たくさんの人々を幸せにしてるんだから」
「………そうだな」
"残りはない"
二人の想いはどうやら一緒のようだ。
「寿一、一緒にいこう」
増田の言葉に、寿一は素直に頷いた。
「いくってどこへ……」
不思議そうな顔をしている陽一に、寿一は言った。
「ここではないところだよ」
「なっ……!待ってくれ、じーさんっ!俺、あんたに色々聞きたいことが山ほど……!」
慌てる陽一に、寿一は優しく言った。
「私がお前に教えられるようなことはもうないさ」
名残を惜しむように、休憩室を見渡しながら言う。
「お前なら、この店を任せられる。護る必要ももうないだろう」
「じーさん……」
寿一は陽一の肩をポン、と叩くと、増田へと向き直った。
「やっちゃん約束だ」
生前不自由だった左手を、前に差し出す。
「来世では絶対にふたり一緒に夢を叶えよう!」
「……ああ、必ず……!」
増田も出された手を握り返した。
穏やかなふたりの表情を見て、高耶は傍らを振り返った。
「直江」
高耶の意図を汲み取って、直江も頷く。
「御意」
一歩前へ出た。
「のうまくさんまんだ ぼだなん ばいしらまんだや そわか.」
突如真言を唱え始めた直江に、陽一は戸惑っていたが、増田と寿一は直江のその行動がどういうものか、悟ったらしい。
「南無刀八毘沙門天 悪鬼征伐 我に御力与え給え」
直江の声が静かに響き渡る。
「《調伏》───」
ふたりは、悲鳴をあげることも抵抗することも無く、静かに逝った。
PR
きえん つれびと
奇縁の連人