きえん つれびと
奇縁の連人
「すみません、怪しい者ではないんです」
せっかく綾子がいい感じで事を進めていたというのに、見るからに高級そうな黒スーツに黒ネクタイの直江に言われて、飯島陽一店長の顔は目に見えて引き攣った。
「とにかく話だけでも聞いてもらえませんか?」
眼光鋭い元ヤン高校生の妙に威圧的な態度にも、飯島は引き気味だ。
「いや、まだ営業中なので……」
引きとめようとする綾子の手を振り払って、また店内に戻ろうとする。
「直江、アレは?」
綾子に言われて直江が懐に忍ばせてある最後の手段、警察手帳に手をやったその時、ものすごい勢いで一台の原付が突っ込んできた。
深くブレーキレバーを引いて横滑りしながら停まると、さっとメットを取った。
現れたその顔に飯島が驚く。
「み、三浦っ!?」
「……どーも」
睨んでいるのか拗ねているのかわからない顔つきで三浦は飯島を見た。
そして、
「どーですか、ゲロりましたか?」
と綾子たちに向かって聞いてくる。
ゲロるも何もまだ話もしてないわよ、と綾子は言おうとしたが、店長の動きの方が早かった。
バイクに跨ったままの三浦の首根っこを、押さえつけ始めたのだ。
「いててててっ……」
「おまえっ!よく顔を出せたな!」
かなり怒った様子で、飯島は怒鳴った。
そういえば三浦は、この店に対して散々嫌がらせを働いていたのである。
「な、なんの話だよっ!」
「バカいうな!バレてないとでも思ってたのか!?おとといもやっただろう、俺の自転車!いい加減、子供みたいなことはやめなさい!」
腕を逆手に取られて悲鳴をあげる。
「とにかく、中に入りなさい!話があるから!」
そのまま三浦をバイクから引き摺り下ろし、店の裏口へ連れ込もうとする飯島に綾子はとっさに言った。
「あっ、じゃあついでに私達もっ!」
は?と聞き返す飯島の背中を三浦ごと押すようにして、4人は建物の中へとなだれ込んだ。
「乗っ取り……」
そう、ため息をつく飯島の顔を、綾子はじっと見つめた。
改めて、いい男だと感じていた。
優しげな目鼻立ちと男気のある喋り方、製パンに対する情熱のようなものが内から滲み出ている(と綾子は思う)。
人というものは強いだけでも優しいだけでもきっと駄目なのだ。両方を兼ね備えてこそ、魅力ある人物といえる。
他者を救うことへの情熱と、弱者に対する限りない慈しみ。大好きなあの人のように。綾子は自分もそうでありたいと思う。
「何か心当たりはありませんか?」
直江が訊く。飯島はなんだかんだ言いながら結局全ての話を聞いてくれた。
今は従業員用の休憩室にみんなでいる。お茶まで淹れてもらって。
三浦と増田が出合ったことや、自分たちがここへ来ることになった経緯、ついでに高塚の事情なんかを、直江が説明し終わったところだ。
唐突な疑いに怒ることもなく、隣で黙ったまま座っている三浦の頭を小突いただけだった。
「こいつから何を言われたか分かりませんが、正直、自分はそんなばかげたことはしないですよ。この店だってうちのじーさんが始めたものを親父が継いで、親父が身体を悪くしたんで俺が継いだんです。」
「じゃあ、元からこの店が他人のものだったことはない、と」
「もちろんです」
ほーらね、やっぱり、と綾子は胸を張った。
「信じちゃダメです。こんな風にみえても店長は昔、ヤクザだったんですから」
三浦の言葉を聞いて飯島は頭をぽりぽりとかいた。
「違うっちゅーの。ガキの頃の友達がたまたまそっちのほうにいってる奴が多いってだけで、俺は普通の一般市民ですから」
「え、でもバブルの時地上げやってたとか、借金取りやってたって」
「は?……ああ、ありゃあ冗談。何だ、お前本気にしてたのか」
「あ……当たり前っすよ!全然冗談っぽくなかったし!」
三浦は大声をあげた。
「大体、従業員殴るなんてしないっすよ、ふつう。ヤクザっぽかったっすもん」
「あれは確かに俺も大人気なかったけどな。けどお前、あのとき一週間も連続で遅刻してただろう。なのに謝りもしないで入ってきやがって」
「だから、寝起きが悪いのは低血圧だからしょうがないって言ってんじゃないですかぁ……」
今度は三浦が頭をかいた。
「ガラス割られた時だって、絶対お前だってわかってたし、よっぽど通報しようかと思ったんだからな」
しなかっただけありがたいと思え、と三浦の背中を叩いた。
どうやら、色々と誤解があったようだ。
「じゃあ、やはり増田のいう店というのは別の"アンジュ"かもしれませんね」
直江が考え込むように言うと、
「いや、それが」
と飯島が首をかしげている。
「何か?」
「そのマスダって名前だけは聞いたことある気がするんだけどなあ」
しばらくマスダマスダとつぶやいていた店長は急に
「ああっ!」
と叫び、何かを思い立って慌てて部屋を出て行った。
「どうしちゃったんだろ」
「さあ……ってゆーか、あんた。そうとう飯島さんに世話になってんじゃないのよ!なーにが極悪非道の男よ!」
「え、俺そこまで言ってないっす……」
綾子が三浦をちくちくと責めていると、店長がバタバタと戻ってきた。
「こ、これ、みてみてください!」
それは一冊の古びたノートだった。
"安寿"レシピノート
増田 安二郎
飯島 寿一
「飯島寿一っていうのはうちのじーさんなんですけどっ」
「増田……安二郎?」
「思い出しましたよ、じーさんがしょっちゅう話してくれてたのに、すっかり忘れてた」
懐かしむような目でノートをぱらぱらとめくる。
「増田安二郎って人はじーさんの幼馴染で、一緒にこの店を始めた人なんです」
その言葉に全員が息をのむ中、飯島は静かに祖父から聞いたという話を語り始めた。
せっかく綾子がいい感じで事を進めていたというのに、見るからに高級そうな黒スーツに黒ネクタイの直江に言われて、飯島陽一店長の顔は目に見えて引き攣った。
「とにかく話だけでも聞いてもらえませんか?」
眼光鋭い元ヤン高校生の妙に威圧的な態度にも、飯島は引き気味だ。
「いや、まだ営業中なので……」
引きとめようとする綾子の手を振り払って、また店内に戻ろうとする。
「直江、アレは?」
綾子に言われて直江が懐に忍ばせてある最後の手段、警察手帳に手をやったその時、ものすごい勢いで一台の原付が突っ込んできた。
深くブレーキレバーを引いて横滑りしながら停まると、さっとメットを取った。
現れたその顔に飯島が驚く。
「み、三浦っ!?」
「……どーも」
睨んでいるのか拗ねているのかわからない顔つきで三浦は飯島を見た。
そして、
「どーですか、ゲロりましたか?」
と綾子たちに向かって聞いてくる。
ゲロるも何もまだ話もしてないわよ、と綾子は言おうとしたが、店長の動きの方が早かった。
バイクに跨ったままの三浦の首根っこを、押さえつけ始めたのだ。
「いててててっ……」
「おまえっ!よく顔を出せたな!」
かなり怒った様子で、飯島は怒鳴った。
そういえば三浦は、この店に対して散々嫌がらせを働いていたのである。
「な、なんの話だよっ!」
「バカいうな!バレてないとでも思ってたのか!?おとといもやっただろう、俺の自転車!いい加減、子供みたいなことはやめなさい!」
腕を逆手に取られて悲鳴をあげる。
「とにかく、中に入りなさい!話があるから!」
そのまま三浦をバイクから引き摺り下ろし、店の裏口へ連れ込もうとする飯島に綾子はとっさに言った。
「あっ、じゃあついでに私達もっ!」
は?と聞き返す飯島の背中を三浦ごと押すようにして、4人は建物の中へとなだれ込んだ。
「乗っ取り……」
そう、ため息をつく飯島の顔を、綾子はじっと見つめた。
改めて、いい男だと感じていた。
優しげな目鼻立ちと男気のある喋り方、製パンに対する情熱のようなものが内から滲み出ている(と綾子は思う)。
人というものは強いだけでも優しいだけでもきっと駄目なのだ。両方を兼ね備えてこそ、魅力ある人物といえる。
他者を救うことへの情熱と、弱者に対する限りない慈しみ。大好きなあの人のように。綾子は自分もそうでありたいと思う。
「何か心当たりはありませんか?」
直江が訊く。飯島はなんだかんだ言いながら結局全ての話を聞いてくれた。
今は従業員用の休憩室にみんなでいる。お茶まで淹れてもらって。
三浦と増田が出合ったことや、自分たちがここへ来ることになった経緯、ついでに高塚の事情なんかを、直江が説明し終わったところだ。
唐突な疑いに怒ることもなく、隣で黙ったまま座っている三浦の頭を小突いただけだった。
「こいつから何を言われたか分かりませんが、正直、自分はそんなばかげたことはしないですよ。この店だってうちのじーさんが始めたものを親父が継いで、親父が身体を悪くしたんで俺が継いだんです。」
「じゃあ、元からこの店が他人のものだったことはない、と」
「もちろんです」
ほーらね、やっぱり、と綾子は胸を張った。
「信じちゃダメです。こんな風にみえても店長は昔、ヤクザだったんですから」
三浦の言葉を聞いて飯島は頭をぽりぽりとかいた。
「違うっちゅーの。ガキの頃の友達がたまたまそっちのほうにいってる奴が多いってだけで、俺は普通の一般市民ですから」
「え、でもバブルの時地上げやってたとか、借金取りやってたって」
「は?……ああ、ありゃあ冗談。何だ、お前本気にしてたのか」
「あ……当たり前っすよ!全然冗談っぽくなかったし!」
三浦は大声をあげた。
「大体、従業員殴るなんてしないっすよ、ふつう。ヤクザっぽかったっすもん」
「あれは確かに俺も大人気なかったけどな。けどお前、あのとき一週間も連続で遅刻してただろう。なのに謝りもしないで入ってきやがって」
「だから、寝起きが悪いのは低血圧だからしょうがないって言ってんじゃないですかぁ……」
今度は三浦が頭をかいた。
「ガラス割られた時だって、絶対お前だってわかってたし、よっぽど通報しようかと思ったんだからな」
しなかっただけありがたいと思え、と三浦の背中を叩いた。
どうやら、色々と誤解があったようだ。
「じゃあ、やはり増田のいう店というのは別の"アンジュ"かもしれませんね」
直江が考え込むように言うと、
「いや、それが」
と飯島が首をかしげている。
「何か?」
「そのマスダって名前だけは聞いたことある気がするんだけどなあ」
しばらくマスダマスダとつぶやいていた店長は急に
「ああっ!」
と叫び、何かを思い立って慌てて部屋を出て行った。
「どうしちゃったんだろ」
「さあ……ってゆーか、あんた。そうとう飯島さんに世話になってんじゃないのよ!なーにが極悪非道の男よ!」
「え、俺そこまで言ってないっす……」
綾子が三浦をちくちくと責めていると、店長がバタバタと戻ってきた。
「こ、これ、みてみてください!」
それは一冊の古びたノートだった。
"安寿"レシピノート
増田 安二郎
飯島 寿一
「飯島寿一っていうのはうちのじーさんなんですけどっ」
「増田……安二郎?」
「思い出しましたよ、じーさんがしょっちゅう話してくれてたのに、すっかり忘れてた」
懐かしむような目でノートをぱらぱらとめくる。
「増田安二郎って人はじーさんの幼馴染で、一緒にこの店を始めた人なんです」
その言葉に全員が息をのむ中、飯島は静かに祖父から聞いたという話を語り始めた。
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きえん つれびと
奇縁の連人